集合の五分前遅いと言ふ
年を重ねると朝が早くなる――よく聞く話だが、どうやらそれだけでは説明がつかない現象がある。
たとえば、アルバイトの警備員仲間たちが、約束の時間より三十分以上前に集合してしまう、あの光景だ。
彼らにとって「早く来る」は美徳であり、仕事の一部であり、仲間への礼儀でもあるらしい。
早く来ても仕事もないしコーヒーを飲んだりタバコを吸うだけである。
しかし、私にとっては少し勝手が違う。
長年エンジニアとして働き、営業技術として客先を回ってきた身からすると、“早く行きすぎる”ことはむしろリスクだった。
かつて、訪問先に早く着きすぎてしまい、産業スパイと疑われたことがある。
「予定より早く来る技術者」ほど怪しい存在はないらしい。
それ以来、私は早く着いてもどこかで時間をつぶし、“5分前”を守るようになった。
技術屋にとって、時間は正確であればいい。早すぎても遅すぎても、どこか落ち着かない。
ところが、警備の現場では事情が違う。
彼らは早く来ることで不安を消し、仲間に迷惑をかけないようにし、
「何かあっても大丈夫」という安心感を共有している。
その文化の中では、私の“5分前”はどうやら“遅刻寸前”に見えるらしい。
「もっと早く来い」と同僚に言われても、私は苦笑いするしかない。
早く来ると疑われ、遅く来ると責められる。
どうやら私は、どちらの世界でも“ちょうどいい時間”にたどり着くのが難しいらしい。
それでも、私はやっぱり5分前に行く。
長年の習慣は、そう簡単には変わらない。
そして、そんな自分のリズムを、少し誇らしくも思っている。
早く来る人も、来ない人も、それぞれの人生の時計で動いている。
その違いが、なんだか人間らしくて面白い。
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