東京の技術者として演技した初夏のダム管理
明日から妻と娘が菊池温泉に一泊する。
その話を聞いた瞬間、私はふと25年前の出来事を思い出した。
竜門ダムの地震計などのパソコン計測が不調になり、熊本市の商社から呼び出された日のことだ。
その商社とは以前から縁があった。
熊本大学などへソフトを納品したこともあり、社長の息子の担当者とは気心が知れていた。
だからこそ、あの日の依頼は妙に率直だった。
「東京の技術者ってことで来てもらえませんか」
東京の開発会社に点検を依頼したが多忙で断られたらしい。ダム側は怒っている。
少しでも空気を和らげるために、“東京から来た技術者”を演じてほしいというのだ。
幸い、私は相模原市に一年出張していた。
東京弁はそれなりに身についていたし、鼻に抜けるあの独特のイントネーションも再現できる。
商社の担当者が「助かります」と頭を下げるので、私は腹をくくった。
竜門ダムの管理室では、NECのPC-9821が乱れた波形を映し出していた。
担当者が眉間に皺を寄せて言う。
「東京の技術者さん、これ、どうにかなりませんか」
私は相模原仕込みの声で答えた。
「ええ、ちょっと見てみますね」
配線を追い、設定を確認し、最後にコネクタを押し込むと、波形は整った。
原因は単なる接触不良。
画面に規則正しい波形が戻ると、管理室の空気がふっと和らいだ。
「さすが東京の技術者さんですね」
そう言われたとき、私は心の中でそっと北九州弁に戻った。
「いや、たいしたことはしとらんよ」
その夜はとても喜んだ商社さんの接待で菊池温泉で最高級ホテルに宿泊した。
ごちそうと源泉かけ流しの温泉と日当交通費で破格の20万円をいただいた。
明日、妻と娘が泊まる菊池温泉は、あの日の現場からそう遠くない。
25年前の自分が、東京弁で必死に役を演じていたことを思うと、なんだか少し可笑しく、そして懐かしい。
人は、役割を演じながら生きている。
そして、家族の何気ない予定が、忘れていた自分をそっと呼び起こすこともある。
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