「サッカーなんてしない」と思った日のこと
サッカーワールドカップの熱戦が繰り広げられている。
パブリックビューイングですか。ファンが推しの選手のユニフォームを来て歓声を上げている。
まさにプロ野球の応援と共に、現代のお祭り騒ぎに見える。
昭和のある日、10歳の私は友人宅のテレビの前でサッカーの試合を見ていた。
62年前の東京オリンピックの日本戦だが、画面に映った光景だけは妙に鮮明に残っている。
選手が走る。相手が追いかける。そして突然、後ろからユニフォームをつかんで引っ張った。
布が裂ける音が聞こえたような気がした。私は思わず「えっ」と声を出した。
破られた選手も破った選手もそのままプレイを続行し、審判は笛を吹かない。
『まさか、許されているのか?』
野球や陸上なら、後ろからユニフォームを引っ張れば即失格だ。
そんな当たり前の感覚を持っていた私には、サッカーの“あの乱暴さ”は衝撃だった。
「こんなスポーツもどき、俺はしない」
その瞬間、サッカーが嫌いになった。今でもルールがよくわからない。
時代が進み、ワールドカップが華やかに開催されるようになった。
技術も戦術も進化し、映像も美しくなった。
それでも、得点シーンの直前には相変わらずシャツを引っ張り、足をかける選手がいる。
昔と同じような場面を見るたびに、胸の奥がざわつく。
ビデオ判定が導入され、AIまで使われる時代になった。
ならば、あの乱暴な行為をもっと厳しく取り締まってほしい。
ユニフォームを引っ張る、足をかける――
そんな行為は、スポーツの美しさを損なうだけだ。
私は強く思う。
「AIでしっかり判定して、失格にしてほしい」
サッカーが本来持っている技術の美しさだけが、純粋に画面に映るようになってほしい。
昭和のテレビの前で感じた違和感は、今も消えていない。
けれど、その違和感を言葉にしてみると、長い時間をかけて自分の中で育ってきた“スポーツ観”のようにも思える。
サッカーがもっとクリーンで、誰もが安心して楽しめる競技になる日を、私は静かに願っている。
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