沈黙の福岡県議会
政治とカネの問題は、いつも唐突に、そして妙に湿った空気をまとって立ち上がる。
今回の福岡県議会の騒動もそうである。
議長ポストをめぐり、大金を要求されたという県議の告発が出た。
音声もある。証言もある。にもかかわらず、受け取ったとされる側は、烈火のごとく怒るでもなく、机を叩くでもなく、ただ静かに否定するだけである。
この「静けさ」が、どうにも気になる。
普通の人間なら、身に覚えのない大金の話を持ち出されたら、怒る。
「そんなことあるか!」と声を荒げる。
名誉を守るために、相手を徹底的に追及する。それが人情というものである。
ところが、政治家は怒らない。
怒らないどころか、淡々とした否定に終始する。まるで、怒ること自体が不利であると知っているかのように。
私は、この沈黙の構造を見ていると、どうしてもこう思ってしまう。
「反論できないのは、どこかで認めているからではないか」
もちろん、法的には何も確定していない。証拠も、捜査も、まだこれからである。
だが、政治の世界には政治の論理がある。怒れば「図星を突かれた人」に見える。
反論すれば「では証拠を出しましょう」と言われる。
派閥の力学が崩れる。議会の慣例が露わになる。沈黙は、最も安全で、最も合理的な選択なのである。
しかし、合理的であることと、潔白であることは別の話だ。
沈黙は、政治家を守る。
だが同時に、沈黙は市民に「何かあるのでは」と思わせる。
この二つの力が、議会の空気を重くしている。
私は、政治家が怒らない理由を理解しつつも、
やはり「怒らないことの不自然さ」を忘れられない。怒らない政治家は、怒れない政治家なのではないか。
そして怒れない政治家は、どこかで真実に触れているのではないか。
沈黙は、時に雄弁である。
今回の騒動は、そのことを改めて教えてくれる。
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