桃色吐息を聴いた日
子どもの頃、わが家にはテレビもラジオもなかった。
シングルマザーの母は朝から晩まで働きづめで、娯楽に回す余裕などなかったのだと思う。
だから私の“窓”は、図書館で借りてくる本だけだった。
物語の世界だけが、静かな家の中でひっそりと広がっていた。
中学二年の冬、ようやくテレビが家にやってきた。
だが、そこで「やっと歌番組が見られる」と喜んだわけではない。
母が仕事から帰ってきて、水戸黄門やドラマを見る時間が、
その日の疲れを癒す唯一のひとときだったからだ。
私は自然とチャンネル権を母に渡し、自分の見たい番組は胸の内にしまった。
そうして私は、流行の歌もスポーツ中継も知らないまま大人になった。
社会に出てからも、仕事に追われる日々が続いた。
休日出勤など珍しくもない。
ある休日、同僚がラジオを流しながら書類を作っていた。
私は音楽に詳しくない。
だが、そのときふいに流れてきた一曲に、思わず手が止まった。
──桃色吐息。
初めて聴くのに、どこか懐かしい。
大人の哀しみと、しなやかな強さが同居したような、不思議な色気。
「いい曲だな。きっとヒットするだろう」
そう思った。
だが後で知った。
その曲はすでに大ヒットしていたのだと。
私は33歳にもなって、ようやく“時代の名曲”に追いついたわけだ。
今日、長崎出張の帰り道、カーラジオからまたあの曲が流れた。
夕暮れの高速道路に、あのメロディがやけに似合っていた。
子どもの頃に聴けなかった歌が、
大人になってから、こんなふうに人生の途中で追いかけてくる。
それがなんだか可笑しくて、そして少しだけ嬉しかった。
このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。