消えた影と生き残った理由
胃の中に、最初は米粒ほどの影があった。
それが半年で百円玉ほどに育ち、気づけば私はステージ3の胃がんになっていた。
自覚症状は何ひとつなかった。痛くもない、重くもない。
ただ、膠原病の発作が続き、大学病院で撮ったCTの“ついで”に写り込んだだけだった。
リウマチ病棟から外科へ移されたとき、医師は言った。
「胃の出入口に二か所。全摘が必要です」
その言葉は、まるで自分の人生が急に別のレールへ切り替わったような感覚だった。
私は思った。
――免疫を下げる薬を飲んでいたから、がんが早く育ったのではないか。
そんな疑念が頭をよぎった。だが、治療は待ってくれない。
新薬の抗がん剤を勧められ、半年飲むと、影は消えた。
画像からも、跡形もなく消えた。それでも外科医は慎重だった。
「半分切って、病理で確かめましょう」
手術後、医師は静かに告げた。
「がん細胞は、いくら調べてもひとつもありませんでした」
私は助かった。
それも、ただ助かったのではない。“消えた”のだ。
医学の言葉で言えば「完全奏効」。
だが、私にとってはただ一つの事実――生き延びた、ということだった。
昨年、同年代のテニス仲間が胃がんステージ4で急逝した。
気づいたときには手遅れだったという。
その知らせを聞いたとき、胸の奥が冷たくなった。
私はステージ4に近い3だった。
ただ、別件のCTが、偶然、私の命を拾い上げてくれただけだった。
膠原病の発作がなければ、大学病院に行くこともなかった。
CTを撮ることもなかった。
半年後に画像を見直す医師に出会うこともなかった。
新薬が効かなければ、手術で取り切れなければ、
今ここで、この文章を書いてはいない。
実は最近は手指の発作が度々起こるようになった。
それで胃がんであったことを思い出した。
私は本当に運がよかった。だが、運だけではない。
身体が出していた小さなSOSを、私は見逃さなかった。
あの痛みも、冷えも、痙攣も、
すべてが「まだ生きろ」と言っていたのかもしれない。
消えた影。残った命。
その理由を探す必要は、もうないのかもしれない。
ただ、生きているという事実だけが、静かに胸の中で光っている。
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